海外と私

私と海外の思い出




時には私の話を

旅行というものが苦手
知らない土地が苦手

それでいて日本を出てみるぜ!
と思っているのも事実。

というのも、うちの両親は私が小学生の頃、
毎年冬に(旅費が安かったらしい)
1週間グアムやサイパンなどに連れて行ってくれました。

PICやクラブやクラブメッドという
オールインクルーシブなホテル。

完全にオールインクルーシブ好きはここ発祥。

その時の思い出というのが、心の根底部分、
私のパーソナリティを作っていています。

親とは別行動の海外旅行

キッズクラブ大好きで
ほぼ両親とは過ごさず
キッズクラブに入り浸っていました。
寝るときしか帰ってこないくらいに。

一人っ子なので1人で行くわけですが
海外だけあってほぼ日本語通じない。

英会話教室には通っていましたが…
全く太刀打ちできません!

大人のスタッフなら優しく聞いてくれるけど
キッズクラブに来ている同級生たちは
「Hmmmm???」って感じで

((`・∀・´))b 心折れた!

おそらく人生初の挫折は
亀「タートル」が通じなかった事です。
「トゥロォ」と言った方が通じるかも

それ以来発音の大切さが身に染みたので
trfのBOY MEETS GIRLの発音を徹底的に研究し
girlの発音を習得。

それ以降「r」の発音ができるようになりました
(うん。どうでもいい話だね( •̀∀•́ )b

海外のココが好き!(by小学生の私

海外の塗り絵にひどく感動!
海外の雑誌の配色に魂がバーンするかと思った。

あの適当すぎる紙質とか
デフォルメがすごすぎる感じとか
ショッキングピンクで溢れてるとことか
文字で遊んでるとことか。

当時今ほどアメリカっぽいキャラも日本にはありませんでしたし、
強烈な色彩感覚が私を虜にしてしまったのです。

私は木陰でずっと雑誌を眺め、
塗り絵をしていました。

プールの時間はプールに行ったけどね。
水族館へ行く日だけ両親と過ごしました。
魚嫌いだからね。

あと衝撃だったのはリトミック。
今でこそ小さい子どもにリトミックという感じですが

30年前なんて音楽に合わせて歌って踊るのは
学びではなかったのです。

それがイングリッシュのカリキュラムは
踊って歌って楽しいだけ
え?これがお勉強の時間でいいの?

(๑°ㅁ°๑)ポカーン

衝撃のカルチャーショック

おそらく10才くらいの時に
私の基盤に大きく埋め込まれた

海外はお母さんみたい☆

という…意味が分かったような分からんような
そんな感覚を持ったまま大人になりました。

ストライク バッターアウト!

なんだかちょっと窮屈だった日本
何が窮屈だったか。。

服とか、周りの景色の色とか
心真ん中と繋がりあって共振する感じを
十分に得られなかったんだろうな

表現しにくかったというか。
私の心はもっと原色に近かったし、
殴りがいたような荒々しさや、
それでいて海や風のような柔らかさもあった。

そういうありのままを表現するのに
私は集団を怖がった。

それが海外ではなぜかできてしまうという
自分の気分次第やーん!かもしれないけどw

思い切り木陰で塗った塗り絵はそれが表現できて
リトミックで使った音楽は
ワクワクした。

私の心は海外という球に撃ち抜かれました
ストライク!バッターアウト!!

私はパズルのピースのようなもので
ピッタリハマるところが地球の何処かにある
そんな壮大な思い込みをした10才。

その反面、日本の美しさや古代の歴史も好きになるんだけどね

小学生の時に海外行けて本当によかった

そう思います。
言葉が全く通じなくても
なんとかなったっていう怖いもの知らずな感覚

日本には日本の緑茶のような良さが

海外には海外のサイダーのような感覚が。

思春期になって妙にカッコつける前で
幼稚園より記憶に残り
まだまだ素直な魂がそのままあった頃に

海外に行けて本当によかったなって思います。

もし行ってなかったらこんなにクルーズ好きにならなかったかも
海外船で妙にリラックスすることもなかったかも。
何がどう人生に絡まって進んでいくかは分からないけど

私にとっての数少ない宝物の思い出です。

そんなわけで、学校で学んだことより色濃く私を形成した
海外旅行。だから子供達も連れ出したいと思うのです。
海外でショッピングしたいんじゃない。
リッチなホテルに泊まりたいんじゃない。

その空気に触れて感覚を浴びたいのです。
ゆっくりのんびりした時間の中で
自分が感じるものを素直に受け止める時間とともに
その「なんらか」の感じと一緒にいたいのです。
その感覚が解明されるのは数十年後でもいいのです。



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