水を眺める




たまに哲学めいた事を考えたくなる時がある
哲学というとかなり大袈裟なのだが

船に乗ると心を空っぽにして
海を眺めていたくなるし
どれ1つとして同じもののない波を
ずっと見ていたくなる

一体どれほどの元素が集まって
この海ができていて
どんなエネルギーがこの海を動かし
波を産み、風を生み出し、空を作っているんだろう

そんな答えなんて到底でなさそうなところで
思考をウロウロさせ、心地よい時間を過ごす。

結局思考は体の声をどれだけ素直に
翻訳できるか否かであって

誰かの素晴らしい言葉も
誰かが作ったルールも
思考から体の感覚へはダウンロードできなかった

ただ、素直に感覚を感じ得た後
誰かの言葉を理解する事はできた。

身体で受け止めた感覚や
自分の内側から出てきた感覚
その次に言葉の理解

これを言葉の理解から入ると
どうやらカッコつけたくなったり
誰かの言葉を「常識」に仕立て上げて
その影に身を潜めてニヤリとしたり
知ったかぶりしたり

言葉を得てしばらくは
納得とかして調子いいんだけど
結局、細胞と調律できていない言葉は
細胞が弾いてしまうね。

でもね、なんか海を眺めていると
そうやって取り繕っていた
不協和音の波が自然に解けていく気がする。
すぐにどうこう動くわけじゃないけど

押し固められていたエゴが呼吸を始めるように
本能の部分に揺さぶりがかかる
血が通い鼓動が戻る。

海の鼓動に共鳴して
細胞たちが言霊を送り始める
あとは私がどれだけ正確に
コトノハを受け取れるかどうか。
それが精神力。

のんびりしてるようなクルーズですが
私の細胞はこうして
破壊と再生を繰り返し
私に何かを伝え続けてくれるのです

この答え合わせは数ヶ月先かな。
急ぐ必要なんてなくて
死ぬまでに少しでも素直になれたらヨシ!です(๑′ᴗ‵๑)




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