お片付けと気持ちの開通

片付けられ内には理由があった。




使ってるor使ってない
その基準で身の回りのものを見るクセがついてきて、

あぁ、ココにも使ってない者たちが。、

と色々な所が見れるように。
それと共に自分の中に

「基準」

というものが不在だった事に気が付いていく。

「嫌だ」をそのままにしておいても平気
嫌だと思うことをされても、それが日常。
嫌だという事が身近に合って当たり前

不快に対してこれでもかというほど
感覚がボヨンボヨンにカビ生えて腐っていました。

「嫌なこと」それに対して
もはや無抵抗の境地。

それは散らかった部屋で暮らす事が映し出していて

本当は不快だと感じながらも
不快に混ざり合う絵の具を
無感情に受け入れるように

死んだような目でトキを眺めているようなもの。

しかし、何故ここまで片付けられなかったのか
私なりに考察してみる事にした。

片付けられない理由探し

片付けと聞くと嫌な感じしかしない。

大事なものが捨てられてしまう
大事なものを捨てなければならない
我慢しなくちゃいけない
悲しい
抗えない
怒られる
綺麗になって悲しいのに
それを気持ち良くなったと言わなくてはいけない。

ナント!気持ちを出してみたら超悲観的ではないか…

私の中で掃除をするというのは
無理して捨てるだったようです

好きを受け入れるための収納

そこでナイス!だったのが
整理収納アドバイザーYoshimiさんの存在。
彼女は「使ってるもの」「気に入ってるもの」は
無条件で大事にしてくれました。

「えー!それいるん!?」
「そんなんいらんよ!捨てなさい」

って一回も言わなかった。

「大事に思ってるものは置いておけば良い」
「使ってないものだけさよならしようね」
というスタンスが
私の片付け=悲しいという図式を見事に攻略。

「シャンプー1週間で飽きるねん
だから3種類いつもあるねん」
って言った時も
「そうなん?じゃぁこれはここに仕舞おう」
とアッサリ受け入れ…

…私ホントにあれだわ
常に怒られる事にビビってた事にも気づいた。
怒られる、怒られるってビクビクアンテナ持ってる。

子供の頃から理解力がなかったのか
私の理解を超えたところで怒られすぎて
何で怒られてるのか分からないのに怒られてる事
…多々ありました笑

私そんなに悪い子やったんやろか。。。

そんなに悪くないと思う(本人調べ

嫌なものは嫌でヨシ。素直に行こう♪

こうやって受け入れられ収納で片付けに心を開いた私は
「嫌な事が合って当たり前」
というフィルターを攻略し始めました。

嫌なものは嫌で良い。

好きも嫌いもそのまま感じて、
思った通りにしてもいい。
その許可を素直に出せるようになった気がします。

許可には他意がない。

「好きにしたら良い」と言われる時って
「もうあなたの事なんて知らない」
「どうせ失敗すると思うけど」
というような相手をコントロールする気持ちがセットなコトが多く、

言い手の気持ちの焦点がコントロールにある以上
真に好きにはできないし、
悲しい気持ちになるし
自分の素直さは誰かを傷つけてしまという恐怖が
私の好きという感覚にこびりついていました

こんな考え方はやめて
素直にその言葉そのものと一体であろう。

好きは好き
いやはイヤ

そんな人生の振り返りをしてみたり。
素直であろうと決意を固めてみたりw

長年私が「ぼやけたまま」を許していた生き方のツケを
お片づけと共に精算しているような、そんな毎日です。

昨日はアクセサリー全出ししました。
もれなく頭痛と吐き気に襲われました(泣

黙々と作業に次ぐ作業。服…増えるよね。。。

片づけと聞いたら=面倒だ、なんか虚しい感じかする
その気持ちにはその気持ちなりの理由と経験があるのかも。

それを知ったら
そんなに乱暴にはやらないよと約束して
ただ好きなのか、そうじゃないのか
気持ちに聞いて

素直になる。

この練習はきっと
お掃除だけじゃなくて
日常のいろんなところで
自分や誰かを大事にできる
そんなトコとも繋がってると思うんだ(๑′ᴗ‵๑)♪



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